シクラメンの世界
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シクラメンの歴史




   17世紀に数種の野生種が、パレスチナ、シリア等から西ヨーロッパにもたらされ、フランス、ベルギー、イギリス、オランダ、ドイツに広がったと考えられています。シクラメンの野生種にはCyclamen repandum、Cyclamen coum、Cyclamen cilicium、Cyclamen persicum等など多数ありますが、現在流通している園芸品種はほぼ全てCyclamen persicumです。
   当時、園芸に従事する人々は、人口から見て極一部の裕福な特権階級に雇われる等、園芸はその一部の特権階級のためのものでした。例えばベルサイユ宮殿など、ヨーロッパの宮殿に豪華な庭園が付属しているのもそのためです。しかし、1760年代にイギリスで産業革命が始まり、1830年代にフランスが産業革命期に入ると、一般の人々の豊かさも増してきました。このころから一部の特権階級だけでなく、多数の豊かな人々も園芸を楽しむようになりました。
   シクラメンは19世紀後半に普及し始めました。1860年代には、既にスカーレット、サーモン色以外の色は存在していました。1870年代にイギリス、ドイツで大輪のものが出現したようです。1890年代には、サーモン色、1900年代にはスカーレットが出現しました。フリンジ種は1890年代に出現しました。フリンジ種の代表であるビクトリアは1906年に作出されました。


シュトラウス(左)とビクトリア(右)の花弁 (出典:恵那のシクラメン -80年のあゆみ-)





   泉農園のある岐阜地方では、大正時代(1920年代)に恵那市東野の伊藤孝重氏により始まりました。当時大井ダムの建設のために来日していたアメリカ人技師の奥さん(ドイツ人)の薦めで始めたとされています。もちろん当時、シクラメンは一般的ではなく、作り方も種の入手先さえもわからなかったといいますが、海外の園芸雑誌の広告にシクラメンが載っているのを見つけ、カタログの請求から始めました。当時は、恵那市からドイツに手紙が届くのに一ヶ月近くかかるような状況でしたが、何とかドイツのビンネビス社からシクラメンのカタログと注文書を入手することに成功しました。
   また、この地域は積雪量こそ少ないものの、冬の気温は-15℃にもなるため、鉢花栽培にはどうしても保温施設が必要でした。しかし当時はビニールハウスなどなく、自らの手で地熱を利用した半地下式のフレームと呼ばれる設備を独自に開発しました。とはいえ、周りに手本となるものもなく、最初の苦労は人並みではなかったようです。
   こうして十分とはいえない情報の中で、恵那でのシクラメンの栽培が始まりました。


所狭しと作られたシクラメン栽培用の半地下式フレーム(出典:恵那のシクラメン -80年のあゆみ-)





   第二次世界大戦前後、シクラメンの栽培は鷹見正夫氏により阿木へ広がりました。しかし、阿木地方では流通上製品の販売に難があり、種苗主体の生産でした。当時の生産者は米作の副業的要素の大きい人が多かったようです。
   1970年代には戦後生まれの人々による花生産、及び、米、野菜からの転向組が増えてきました。以後、洗濯機、テレビ、自動車などよりは遅れたものの、経済の発展に伴い、シクラメンの消費も品種も拡大していきました。1950年頃は、ほとんどが赤系の品種であったのが、1955年頃からヨーロッパの品種を輸入し始め、1975年頃からパステル系が品種の大部分を占めるようになり、F1の利用も盛んになりました。
   栽培技術も、半地下式のフレーム栽培から、現在では温室による栽培が主流になり、給水方も底面給水方という方式が主流になるなど、当初に比べ現在では格段に進歩しました。
   
(参考文献:恵那のシクラメン -80年のあゆみ-)